在家のお坊さんのつぶやき

在家のお坊さんが、法務や生活体験をもとにしたつぶやき、タイの面白い情報、本山で学んだ「仏教」の解りやすい情報、仏教・お寺を身近に感じる情報などを発信しております。

阿弥陀経(Part3)

おはようございます。

 

本山での報恩講が23日から執り行われます。

24日の初出仕に緊張気味な、お坊さん見習い「YURYU」です。

 

今日も引き続き「仏説阿弥陀経」のPart3です。

 

舍利弗
仏国土 微風吹動 諸宝行樹 及宝羅網 出微妙音
譬如百千種楽 同時倶作 聞是音者 皆自然生 念仏念法念僧之心
舎利弗よ、仏の国では風が吹いて宝の樹木と宝の網を揺らして、美しい音を奏でます。その音は百千種類の楽です。その音を聞くと、自然と念仏・念法・念僧の心が生まれます。

舍利弗 其仏国土 成就如是 功徳荘厳

舎利弗よ、極楽の国では、功徳が荘厳になります。

舍利弗 於汝意云何 彼仏何故 号阿弥陀

舎利弗よ、この仏はどうして「阿弥陀(あみだ)」と言うのでしょうか?

舍利弗 彼仏光明無量 照十方国 無所障礙 是故号為阿弥陀

舎利弗よ、光明が無限に広がり、世界中の国を照らして遮るものがないので、阿弥陀と言うのです。

 ※古代インドの言葉(サンスクリット語)で、アミターバ(はかり知れない光)の意味です。

又舍利弗 彼仏寿命 及其人民 無量無辺 阿僧祇劫 故名阿弥陀

舎利弗よ、仏の寿命とそこの人々が無限なので、阿弥陀と言うのです。

 ※古代インドの言葉(サンスクリット語)で、アミターユス(はかり知れない命)の意味です。

舍利弗 阿弥陀仏 成仏已来 於今十劫

舎利弗よ、阿弥陀仏が、仏になってから十劫という長い歳月が流れました。

又舍利弗 彼仏有無量無辺 声聞弟子 皆阿羅漢 非是算数 之所能知
諸菩薩衆 亦復如是

舎利弗よ、その弟子、阿羅漢や菩薩の数は数え切れません。
舍利弗 仏国土 成就如是 功徳荘厳
舎利弗よ、極楽の国では、功徳が荘厳をなします。
又舍利弗 極楽国土 衆生生者 皆是阿鞞跋致

舎利弗よ、極楽の地で生きるものは、阿鞞跋致(アビバッチ)となります。

 ※阿鞞跋致(アビバッチ)とは、不退転(ふたいてん)という二度と後退することのない境地へ至った菩薩のことです。

其中多有一生補処 其数甚多 非是算数 所能知之 但可以無量無辺 

阿僧祇劫説

その中の多くのものは、一生補処(いっしょうふしょ)となり、その数は数え切れません。ただ「無量無辺 阿僧祇劫(あそうぎこう)」としか言えません。
※一生補処(いっしょうふしょ) とは、不退転の境地から、さらに功徳を増長させて、もうすぐ仏になる次元です。 ※阿僧祇劫(あそうぎこう)とは、無限の意味で使われる数の単位です。 

舍利弗 衆生聞者 応当発願 願生彼国 所以者何
舎利弗よ、この話を聞くと、極楽に生まれたいと願うようになるのは、どうしてなのでしょうか?
得与如是 諸上善人 倶会一処
よい人たちと倶会一処を得ることができるからです。
※倶会一処(くえいっしょ)とは、同じひとつの場所で再会することです。
舍利弗 不可以 少善根 福徳因縁  得生彼国
舎利弗よ、よい行いをして積み重ねた徳が少なければ、極楽に生まれることはできません。
※少善根 福徳因縁(しょうぜんこん ふくとくいんえん) とは、どれだけ私たちが努力して修行をしても、極楽に生まれるためには、まだまだ善根(善のもとになるもの)と積み上げた福と徳が少ないことです。
舍利弗 若有善男子善女人 聞説阿弥陀仏 執持名号
若一日 若二日 若三日 若四日 若五日 若六日 若七日 一心不乱

舎利弗よ、よい男と女とは、阿弥陀仏の名前をお聞きになり、一日、二日、三日、四日、五日、六日、七日と一心不乱に唱えることです。
其人臨命終時 阿弥陀仏 与諸聖衆 現在其前 是人終時 心不顛倒
即得往生 阿弥陀仏 極楽国土

その人が臨終のときには、阿弥陀仏が菩薩方と一緒に目の前に現れ、亡くなるときには、心が動揺せず、すぐに阿弥陀仏の極楽の国に生まれるのです。

 

う~ん 長いですね。 皆さま頑張りましょう。

 

皆さまがよき「仏縁」に恵まれますように

南無阿弥陀仏

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