和讃のあじわい(弥陀成仏のこのかたは)
おはようございます。
はじめて和讃六首引きを練習した時の最初の句です。
いま思えばかなり苦戦をした記憶があるお坊さん見習いの「YURYU」です。
さて「和讃」とはいかがなるものか?
「和讃」は、「讃歎」の流行の後を受け平安中期には成立して、人々に周知されたと言われております。
和讃は、広く民衆の間に流布し、仏教の布教だけでなく、日本の音楽にも大きな影響を与え、民謡や歌謡などに影響を与えたとあります。
味わい深い「和讃」の世界へようこそ
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり
現代語になおすと、
阿弥陀さまが一切の衆生を救いたいという願いを発して仏になられたのは、十劫という気の遠くなるような昔にさかのぼります。
以来、その願いは実際に力となり、無限のいのちをもって今日に至るまで止むことなくはたらき続けています。
しかも、そのはたらきは光がどのような暗闇の世界であろうともあまねく照らし尽くしていくように、煩悩の闇に惑わされて真実の智慧をもたない私たちを一人残さず真実に目覚めさせてくださいます。
阿弥陀さまの限りない命「無量寿」と、あまねく世界を限りなく照らす光「無碍光」があらわされてる和讃です。
皆さまがよき「仏縁」に恵まれますように