和讃のあじわい(解脱の光輪きはもなし)
おはようございます。
得度をしてから、僧としての自覚を増している?と思いたいお坊さん見習いの「YURYU」です。
本日のご和讃は
解脱(げだ)の光輪(こうりん)きはもなし
光触(こうたく)かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覚(びょうどうかく)に帰命(きみょう)せよ
(現語訳)
覚ら(さとら)れた阿弥陀さまは煩悩の束縛から開放されて、その覚り(さとり)りの功徳を具(そな)えた光明は、どこからどこまで照らすという辺際がなく、「無辺光」と呼ばれています。
そしてその光に触れれば、誰もが執着に惑わされていたこと、誤ったものの見方をしていたことから開放されます。
仏教の根幹である「縁起(因果とも)=すべてには始まりがあり、終わりが訪れる」の道理に基づいた正しいものの見方ができるようになるといわれます。
ですから執着を離れて、平等であり無差別の覚(さと)りを得られていて、すべての人々(一切衆生)を分け隔てなく、皆さまを平等に救う阿弥陀さまの本願力にすべてをまかせしない。
皆さまがよき「仏縁」に恵まれますように