新たな一年の幕開け
こんばんは。
学院が春休みの時こそ、予習をしておかなければならないですいね。
サラブレッドの中に、ロバが一匹と心得ているお坊さん見習い「YURYU」です。
最近特に思う事があります。
今の時代は、どの様なお坊さんが求められているのか?
単なる法要・葬儀だけのお坊さんではなく、僧侶としての役割とは何かを自問自答している昨今です。
超高齢化社会ですので、葬儀の需要は多いはずですが、費用の負担を重荷に感じている方も多いとお聞きしております。
昨今の葬儀事情として、病院から安置施設を経由して、火葬場に直接運んで荼毘に付す「直葬」が増えているそうです。
火葬場では簡単な読経をするだけで、埋葬も合同墓であったり、納骨堂・散骨とお寺を介在しない最後を希望する人が増えております。
もちろん昔ながらの通夜・葬儀をして、菩提寺に埋葬される方も多いのですが、世の中の流れがお寺とは気薄になって来ているように感じます。
私の所属している財団法人は、僧侶の方々が理事となって、東南アジアの孤児院・学校の支援をしております。
宗派を超えて、様々な宗派の僧侶の方々が賛同してくれており、本当に意義のある活動だと思います。
実際のお寺(寺院)の活動は、宗派にとらわれてしまうのは仕方が無い事であると理解しておりますが、社会活動でお坊さんが必要とされるのであれば、宗派・宗門には制約されない連携ができても良いのではないでしょうか。
時代に取り残される「お寺」、「僧侶」から、時代が必要とする「お寺」、「僧侶」へと変わって行かなければならない岐路に立たされているのではないかと、私自身は危機感を持っております。
読経もとても大切ですが、社会が必要とする僧侶とは何かを、もう少し求めても良いのではないでしょうか。
お寺不要論、僧侶不要論という問題を正面から考えてみたいと思います。
とはいえ、まだまだ教学・声明の未熟な私ですので、ただただ精進あるのみです。
皆さま方が良き仏縁に恵まれますように