在家のお坊さんのつぶやき

在家のお坊さんが、法務や生活体験をもとにしたつぶやき、タイの面白い情報、本山で学んだ「仏教」の解りやすい情報、仏教・お寺を身近に感じる情報などを発信しております。

ありがたいお言葉

おはようございます。

 

最近ブログをさぼり気味のお坊さん見習「YURYU」です。

 

私のブログを期待している方はいらっしゃらないと思いますが、一応気になってしまう小心者です。

 

本日は私の学院の教授であり、師と仰ぐH先生のお言葉より「ありがとう・おかげさま・もったいない」を自分なりにアレンジしたお話をさせて頂きます。

 

ありがとう

私たちは阿弥陀様のお計らいにより、発願した信心をいただいております。

そして阿弥陀様への報恩感謝の念仏こそが、私たちを現生正定聚となる果なのです。

阿弥陀様への感謝、両親への感謝、ご先祖への感謝、色々な感謝がございますが、感謝をする気持ちを大切に「ありがとう」の精神を養って頂きたいと思います。

 

おかげさま

お釈迦さまも「縁起」の道理が仏教の根幹であると仰せであります。

人は生活して行く上で、他人との関係を断つことは難しく、自ずと他人との関係性をもって生活しております。

私は、この「おかげさま」という言葉は、仏教が説く諸法無我(しょほうむが)」を教えて下さる、大切な言葉であり、そのような意味があると頂いております。

諸法無我(しょほうむが)」とは、「世の中のものは全て単独で存在しているのではなく、関わりの中で生きている」という意味です。
私が私として存在できるのは、まさに他者の「おかげさま」という事です。

もったいない

私たち人間は、他の生き物の「命」をいただきながら生きております。

すなわち他の生き物の「命」が無ければ、生きては行けない業の深い罪深き存在なのです。

その事を自覚すれば、自ずと食べ物を粗末にしないようになります。

食べ物を「もったいない」と思うのは、人間として最低限の気持ちではないでしょうか。

形あるものも「人の手」などによって作られるものであり、決して無駄にしてはいけないものであると思います。

この「ありがとう」「おかげさま」「もったいない」の精神は、仏道に限らず、人の営みの真ん中にあるべき気持ちです。

皆さまも、何気ない日常からこの言葉の意味や、それに基づく行動を機にかけて頂ければ幸いです。

 

皆さまがよき「仏縁」に恵まれますように

南無阿弥陀仏

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