南無阿弥陀仏とは
おはようございます。
昨日は台風の影響で散々な思いをした、お坊さん見習いの「YURYU」です。
「南無」はナモー(namo)の音写語で「礼拝、おじぎ、あいさつ」を意味するナマス(namas)の変化形。「礼拝」から転じて帰依(śaraṇagamana)を表明する意味に用いられ、「わたくしは帰依します」と解釈される。「阿弥陀」は、その二つの仏名である「アミターバ(無量の光明, amitābha)」と「アミターユス(無量の寿命, amitāyus)」に共通するアミタ(無量、amita-)のみを音写したものです。
すなわち「南無阿弥陀仏」とは「わたくしは(はかりしれない光明、はかりしれない寿命の)阿弥陀仏に帰依いたします」という意味となります。
タイでも阿弥陀さまはアミタですし、この言葉は仏教では世界共通になるのです。
牛久大仏以外にも、実に多くの阿弥陀さまが建立されております。鎌倉長谷の大仏さまも銅造阿弥陀如来坐像ですし、中尊寺・金色堂にも木造阿弥陀如来坐像があります。
私ども浄土真宗のみ教え
いまから2500年以上前にお釈迦様によってお説きいただいた仏法は、いついかなる時代にあっても変わることのない、普遍の教え、真実の教えです。
その仏教は、インド、中国、そして、朝鮮半島を経て、幾多のご苦労の中、私どもの日本に伝来しました。その中でも、お念仏の教えは、インド、中国の高僧方によってお伝えいただきました。
そのお念仏の教えを日々の生活で悩み苦しむ私たち、苦しみを苦しみとも感じずにいる無明の中の私どもに、お念仏の教えとしてわかりやすくお説きくださったのが、親鸞さまです。
親鸞さまが私たちにお教え下さった浄土真宗のみ教えは、「阿弥陀さまの本願を信じ、念仏申せば仏となる」というお念仏のみ教えです。そのお念仏のみ教えは、私たち一人一人のかけがえのない人生を活かし、受け止め、生きる大いなる道です。
忙しい毎日に追われ、目先のことにとらわれて、人生において大切な意味を見失っています。私どもに伝わるまで長い年月受け伝えていただいた浄土真宗のみ教えは、その苦悩の中、何ものにも妨げられることのない、力強い生き方、明るく確かな真に安心して歩んでいける道へと導いてくださる教えなのです。
(浄土真宗東本願寺派本山東本願寺HPより引用)
皆さまがよき「仏縁」に恵まれますように